漁民が移ってきた頃は、佃島はせいぜい100メートル四方の小さな島で大川、今の隅田川の河口で海に浚われそうな砂州だったのです。心細かった事でしょう。住吉様を分けて頂き氏神様と致しましたが、頼るのは神仏しかありません。そこで、この小さな土地には、住吉様以外にも、神様を奉りました。
その一つが、子育て地蔵様でした。医者も居ない粗末な村では、子供を育てるのは生半可ではなかったでしょう。地元の人以外では、見付けられない路地に、今でも大切に奉られています。近年は、訪ねてくる人も多くなったので、分るように旗を立てています。
幅1メートル一寸の家と家に囲われた路地にあります。地元の子供達は、このお蔭でスクスク育って居ます。当家の勇希も大樹も、100円玉をお賽銭箱に入れて、ナムナムしました。メチャ小さくて狭い境内には、住民の捧げた提灯がぎっしり並んでいます。
そして、大きなイチョウの幹がデーンと入り口を塞いでいます。公孫樹は病虫害に強く長寿なので、子供の成長を願って植えられたのでしょう。回りに家が建っても、切ろうなどとは考えもしなかったのです。屋根を貫いて、空に伸びています。
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