熊谷守一略歴
熊谷守一略歴
1880年 岐阜県恵那村に生れる。父は製糸工場を経営し、市長や衆議院議員等を歴任。
1900年 東京美術学校西洋画科。黒田清輝・藤島武二などの指導を受ける。同級に、青木繁・児島虎次郎・山下新太郎・和田三造など。
1904年 東京美術学校西洋画科を主席にて卒業。
1916年 二科会会員に推挙される。
1947年 二紀会創立に参加、会員となる。
1967年 文化勲章を「これ以上、人が来るのは困る。」と、辞退する。
1972年 勲三等叙勲も「お国のためには、何にもしていない。」と辞退する。
1976年 岐阜県付知町に、熊谷守一記念館開館。
1977年 肺炎のため死去。
1985年 東京都豊島区に、熊谷守一美術館開館。
版画
ゆり #43 24.2×27 |
柿 #45-3 1975年 木版 画寸27.8?40.2 |
柿に烏 #44-8 1973年 印譜 木版 画寸29.0x32.5 |
寒山拾得 #46−1 1975年 木版 23.3×45.6 |
新神楽 「熊谷守一版画集 サムホール」 #47-5 1977年 木版 19.1×26.6 |
折雛 #23 1973年 自筆サイン リトグラフ 画寸42x34 |
白梅 #45-1 1975年 木版 画寸27.8?40.2 |
百合 #46-5 1975年 木版 画寸23.3x45.6 |
百日草 #42-5 1971年 印譜 木版 画寸50x39.6 |
裸婦 「熊谷守一版画集 サムホール」 #47-3 1977年 木版 26.2×18.0 |
かまきりとひかん花 |
つゆくさ |
つつじ |
つばき |
笹百合 |
朝顔 |
朝顔 |
朝暘 |
蝶と椿 |
椿 |
百日草 |
ひかん花 |
蝦蟇 |
蛾 |
拾得 |
椿 |
農夫 |
母子 |
牡丹 |